読書感想の意義
読書をして「面白いな」と思ったきりなにもしないのでは勿体無いのでサイトに感想を書きました。 昔読んだ本を思い出し解らないところは調べてみる作業をすると読んだ本が記憶とともに甦りためになります。 感想文でまとめると混乱していた思考がすっきり整頓出来るのでお勧めです。 詳しい内容はもちろん実際に読んでみることをお勧めします。

 

『罪と罰』 著者 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
新潮文庫 工藤精一郎訳
 言わずと知れた名作でタイトルはどこかで聞いたことがあると思います。 やっぱりタイトルがいいと思います(日本語の)。ロシア語では「犯罪と刑罰」という訳の方が当てはまるそうです。 私が最初にこの本に出会ったのは高校生のころです。当時私はあまり本を読むタイプではなかったの ですが偶然この本『罪と罰』と出会ってしまいました。 図書館にあった本はハードカバーで辞典のように 分厚く知的な感じだったので柄にも無く借りてしまいました。  本の最初の部分、マルメラードフが居酒屋で貧乏学生の主人公ラスコーリニコフに絡む?場面でマルメラードフが 話す内容は聖書の黙示録から引用をされているそうですが、もちろんそんなことは解るはずも無く「ブタと自分で言っているよ(笑い)」 などと思っていました。社会人になって読み返してみると、マルメラードフに感情移入してしまう大人になってしまいました。  物語の舞台は19世紀、世界では産業革命、近代化と戦争のような時代背景で当時のロシアも近代化に遅れないようにと 皇帝主導の農奴解放とそれに伴う都市への人口移動がありました。 ラスコーリニコフが首都ペテルブルグで出会う人々はそのような 時代背景の犠牲者たちでした。 施しでもらったお金をネヴァ河に投げ込み、酔っ払いの少女がうろつき陵辱されそうになる都市を眺めた ラスコーリニコフは何を思ったのでしょうか。 ドストエフスキーはこの本でいたるところに聖書の一説を引用しているようです。  本のタイトルにある「罪」という言葉、ロシア語の題名では「Преступление и наказание」といい 人間の定めたおきて(法律や社会規範)(『謎解き罪と罰』江川卓著書)という意味合いが強いそうです。  『ドストエフスキー伝』著者アンリ・トロワイヤ 訳 村上香住子 によればドストエフスキーは若いころ過激な革命団体に 所属して逮捕投獄され死刑寸前の経験をしたそうです。 上記の本でラスコーリニコフについて、社会規範(モラル)を踏み越えて自由を求めたがそれを実行したとたん 足元がぐらつき不安に襲われて隠れて暮らす生活になった。という解説がありけっこう納得しました。 
社会は完璧ではなく周りの大人たちも決して道徳的ではありません。その環境の中でラスコーリニコフが考えついた思想「非凡人はなんでも許される」がどんなに論理的に当たっていたとしても ラスコーリニコフの犯した犯罪は許されるものではありません。 ところで、犯行の後ラスコーリニコフは罪悪感を感じたのでしょうか?犯行後ラスコーリニコフは何に怯えたのでしょうか? 犯行予定にないリザヴェータを殺害してしまったことでラスコーリニコフは 自分が非凡人で無いことを自覚したために落ち込み、自分が凡人であるため警察に逮捕されることを予想し恐れたのでしょうか。それとも、この犯罪行為に罪悪感を感じたのでしょうか。
 犯行後の警察との駆け引き、好色男のスビットリガイロフの登場、親友のラズミーヒンなど、ラスコーリニコフの周りの人たちとの やり取りも面白く推理小説のような感じで読めるのであまり深く考え込まなくても楽しめる本だと思います。 社会の閉塞感を超えて青年が再生する物語で、ソーニャとの出会いがラスコーリニコフに影響を与え凶悪な犯罪者に人間的な感情と倫理を取り戻させたのでは ないかと思います。  高校生、大学生、社会人と3回この本を読みました。人生の成長とともに小説から受ける感想も少し違ってくることが解りました。 「引きこもり」「犯罪」「社会不安」「経済苦」、国と時代が違うけれど現代の日本社会にも十分あてはまる小説であると思います。
また、作者のドストエフスキーの人生について知るとこの小説に深みが出て面白いと思います。
『謎解き『罪と罰』』 著者 江川卓
新潮選書
普通の小説は読み終わってもその小説について解説書を読む必要はないと思います。 小説は物語なので人それぞれ感じ方が違っていて当然だと思います。また、そんなに 感じ方が人と異なることも無いのではと思います。
しかし、ドストエフスキーの本は違います。
登場人物の名前、着けている衣装、、住んでいる場所、発言、犯行の日時、犯行の方法、犯行場所までの歩数、 すべてに作者の意図が隠されており本のタイトルの通り謎解きをすることで『罪と罰』という作品を深く味わうことが出来ます。  ロシアの社会環境はもちろん、キリスト教伝来以前のスラヴ・ロシアの神話も作品に重要な要素を与えています。 1つ例を挙げると、古代スラヴ神話の最高神(ペルーン)は雷神であるそうですが、ラスコーリニコフの下の階の住人の名前は 「ザルニーツァ」さんでそれは日本名にすれば稲妻さんと言う事だそうです。なにが言いたいのかというと、主人公の ラスコーリニコフはその古代ロシアの最高神よりも上に存在する位置に住まわせる設定をしたかったようです。
名前に666の刻印でアンチキリストの存在というだけではなく古代スラヴ神話の最高神よりも上の立場にいると表現したかった。 その意味を考えるとラスコーリニコフの思想と行動の重大さに気づかされるのではないかと思います。
ドストエフスキーは社会に不満を持ち革命を夢見たそうです。投獄され釈放された後作家としてその作品の中に暗に訴えたかった ことを盛り込んだのではと思います。宗教、社会思想、社会不安が絡み合い一言では言い表せないことを読者に後から気づかせる ドストエフスキーはきっと天才だったんだろうと思います。
 図書館でドストエフスキー関連の本を探すと驚くほど沢山の解説書があります。『罪と罰』という小説は一度読んで面白く 解説書を読んで驚きロシアの社会の勉強にもなります。
本のカバーの後ろに著者江川卓さんの笑顔の写真がありその万遍の笑みにも意味がありそうな気がしてくるのは私だけでしょうか?
『ドストエフスキー伝』著者 アンリ・トロワイヤ 訳 村上香住子
中央文庫
 古本屋に立ち寄ったとき偶然発見しました。ドストエフスキーの本は面白いがなんといっても難解です。 やたらと分厚いけどあのドストエフスキーについての伝記とならばと購入しました。 この本では、試練の青年時代、流刑地での結婚、国外追放と賭博、栄光の晩年と4つの章に分かれてドストエフスキーの生涯を 描いてます。 ドストエフスキーの作品は面白くて複雑で難解だけど、その人生も同じく波乱万丈であることがわかりました。 有名な謎解きシリーズのように作品の内容の解説とは違い、ドストエフスキーの生い立ちから作品を読み解く手がかりを得る 内容だと思います。
『自由とは何か』 著者 佐伯啓思
講談社現代新書
 書店をうろついていたとき偶然に目に付いたタイトルに惹かれ立ち読みしました。ラスコーリニコフの思想と功利主義について 触れていたので思わず購入してしまいました。この程度の文庫本ならすぐ読み終えるだろうと思っていましたが結構時間がかかりました。 著者曰く、「少しはわかりやすくまとまったものにしたはず」と言うことだそうだが、たしかに私でも感覚的に捕らえることが出来るようにまとまっていましたが 哲学的な話の解説など頭が混乱するばかりでした。この本ではいくつかのキーワードが出ており「価値」「共同体」「義」「善」など で、それは自由とはかけ離れたことだと思っていたらその逆で「自由」を考えると個人の自由を制限することになるとはなにか滑稽だと思いました。 自分の住んでいる(共同体)社会に違和感を感じてしまったらとても生き辛くなる理由も解ったような気がします。 自由についての問題を考えるとき良い材料になると思います。
『アサッテの人』 著者 諏訪哲史
講談社
 仕事に追われしばらく読書から離れていた時期があったけど久し振りに空いた時間が出来たので書店へ行くと「芥川賞と群像新人文学賞 のW受賞!」と帯にデカデカと書いていたので立ち読みしてしまいました。 最初の印象は文字がでかくてこれが芥川賞なのかとびっくりしました。あまり芥川賞受賞作とか読んだことがなかったけどこの小説は 印象と違ってびっくりしました。  著者の諏訪哲史さんが言うように最初の部分は読みづらくそこを過ぎるとすらすらと読める感じでした。
奇妙な言葉を発する叔父が残した日記を通して叔父を描く小説です。メタフィクションなんて言葉は知りませんでしたが面白く読めました。  小説のあらすじは叔父がマンションに住んでいて優雅な生活をしておりその後奥さんを亡くし仕事場でエレベーターに乗るチューリップ男を目撃し衝撃を受ける。その後団地に住み謎の日記を残して失踪するという内容です。 小説の後半にはショーペンハウアーを引き合いに出したりネズミが集団で溺死する話をしたりします。 この叔父の日記で面白い話と言えば、「「夢を信じて・・・」「挫けないで・・・」「愛は負けない・・・」「ピュアなハート」「君の瞳の輝き」「明日はきっと来る・・・」 とかの凡庸極まりない言葉をテレビから聞くと辟易し、それを書くとペン先が腐ってゆくような気がする」とありました。結構叔父の人柄が表れている内容で私もそう思うところはあり共感しました。 すべての凡庸を避けて奇妙な声を発してすごしていた日々。それもある日崩壊し失踪します。 「ショウペンハウアー風な「世界に囚われている」という意識」と小説で出ますが私には正確に理解できませんでした。おそらく私の勉強不足だと思います。 私が勝手に解釈するならば、すべての「作為」を避けて凡庸を嫌っていた叔父はいつしか泥沼はまり社会に適応できなくなっていた。 と解釈してもいいのかなと思います。  メタフィクションとかショーペンハウアーとか変な言葉とかが出現しますが読みやすくて最後は少し笑ってしまいます。意味は十分理解しなくても読んだあとに残る感情と 好奇心は読んだ後で膨らみ少し成長できるのかもしれませんね。
『フロイト思想のキーワード』 著者 小此木 啓吾
講談社現代新書
 心理学にはあまり興味がありませんでしたが「フロイト」という名前は聞いたことがありチョット知っていたらカッコいいかななんて思いながら 立ち読みしたら面白かったので購入しました。本の最初のページに「断念の術さえ心得れば人生も結構楽しい」との言葉があります。
フロイトは口腔がんを患っていたらしく苦痛を感じながらも診察という仕事を休まず続けていたそうです。あまり薬に頼りたく無かったらしく始終痛みをこらえていたそうです。 フロイトは「人生の目的は?」と問われ「愛することと働くこと」と答えたそうです。この本の著者も「休まず決まった場所で決まった時間に 学ぶこと=働くことを実体験してアイデンティティを身に着けてほしい」と述べていました。 フロイトが診察した患者を通して人間を発見していく過程は面白しろかったです。日本人では少し首を傾げたくなる話ではありますが、幼児の性愛の傾向と家族との関係。エディプスコンプレックス の説明、父親の力と去勢の話がありました。フロイト自身はユダヤ人だそうでキリスト教と罪悪感の説明などをされていました。 日本人向けでは、阿闍世コンプレックスという和風のコンプレックスも紹介してありました。  家族の間の人間関係の問題をギリシャ神話からヒントを得て原父殺害からキリスト教の発生と罪悪感の説明の部分は解りやすく解説していました。 言葉足らずな私が表現するなら、野菜にかけるドレッシングで言うと「タルタルドレッシング」のように濃厚で自我を強く主張した西洋と 醤油ベースのあっさり和風ドレッシングの違いなのでしょうか? 父親との葛藤はよくある話ですがフロイトに分析してもらえばその葛藤もすぐ消滅するかもしれませんね。
『金閣寺』 著者 三島由紀夫
新潮文庫
 三島由紀夫。この作家の名前と行動は知らない人はいないと思います。気になったので読んでみたら結構面白くてはまりました。
 私が特に印象に残った場面は、海軍学校に入った卒業生が母校で後輩に短刀を見せびらかして喜んでいる時 主人公の溝口は皆と距離をおいて眺めていた。皆の羨望の的のはつらつとした先輩が後輩たちに海軍の短刀を見せびらかしている時、彼はその輪に入らないで眺めることが礼儀とだと思っていた。 案の定、先輩にちょっかいを出され級友にも馬鹿にされる。その後、彼は持っていた錆びた鉛筆削りでその短刀に傷を付けます。 溝口は跡継ぎでお坊さんになるのでその健康的な先輩も意地悪な級友も結局「暗い世界に大手をひろげて待っている 私のひろげている 手の中へ入ってくる」と暗い想像を膨らます根暗な少年です。もちろんそれはお葬式のことでしょう。そんなことを考える溝口君はやっぱり将来金閣寺を放火してしまいます。
肌がきれいで美少年キャラ?な鶴川との出会いがあり、柏木という足が曲がった人との出会いと思想。 根暗の溝口が女性との付き合い方で柏木からレクチャーされいろいろ試してみるがうまくいかない。 柏木と溝口のやりとりについては難解ではあるが読者はとてもワクワクするような気持ちになると思います。  そんな中、太平洋戦争から終戦にかけて物語は進行し溝口は金閣寺を焼いて自殺しようと思います。
感想としては、歴史の古い京都とお寺の金閣寺と主人公のお坊さんと魅惑的な女性たちのオッパイ露出行動のような幻想的な世界。
「俺は絶対に女から愛されないことを信じていた。」という台詞や吃音がある主人公に柏木が「吃れ!吃れ!」と嗾けたりするような 主人公の暗い世界を描いた小説です。 太平洋戦争突入と戦時下の人の心理。崩壊の予感とともに怪しい美しさを増す金閣寺。 山から眺める放火された金閣寺。そのクライマックスの場面は目を閉じれば燃盛る金閣寺が目蓋に映るぐらいでした。 最後溝口のセリフとともに私も何か解放された気分になり、すっきりした気持ちになりました。  お坊さんのくせに国宝のお寺を焼いたらそりゃすっきりするよね、という話かな。
『道徳の系譜』 著者 ニーチェ 訳 木場深定
岩波文庫
ニーチェの本は今のところこの本しか読んでいないのでニーチェを語ることはちょっと気が引けますが自分の考えをまとめる ために感想を書きます。 本の表紙には「ニーチェ自身、自分の思想の世界に分け入ろうとする人々に本書と『善悪の彼岸』の2つの著書からはじめるように。」 と書いてあるのでニーチェを読み始めるにはこの本からの方がいいのかもしれません。
 感想としては、読みやすい気もするが深くは理解出来なかったという感じです。 感覚的に解るけれど正しく 理解はしていないだろうと思います。 しかし、この本のニーチェの言葉には力強さがあるとおもいます。
いくつか興味深かった言葉を書き写します。
・ あらゆる種類の弱者や被圧迫者に、弱さそのものを自由と解釈し、彼ら自身の云為を功績と解釈するあの崇高な自己欺瞞を 可能にしたからであった。P49
・ 健忘がなければ、何の幸福も、何の快活も、何の希望も、何の矜恃も、何の現在もありえないだろうということだ。P62
・ 先祖は必然的に1つの神に変形される。恐らくここに神々の本当の起源、すなわち恐怖からの起源があるのだ!P106
・ あらゆる芸術家がそうであるように、悲劇作者もまた自分と自分の芸術を足下に見下ろすことができるとき、---自分を笑うことが できるとき、初めて彼の偉大さの最後の頂点に達するのだからだ。P122
・ 人間は欲しないよりは、まだしも無を欲するものである …P208

 道徳とはいったい何なのであろうか。共同体(社会)の居心地の悪さ。ニーチェはそのようなことに疑問を感じ自分に偽り無く 書き記したということだと思います。おそらく、社会の少数派で待遇に不満を持っている人たちがニーチェを読むと社会に対する反感の感情やそれに伴う行動、その抗議 の意味や平等について深く考えることが出来、気づくことが多いいのではないかと思います。 私自身は普通な暮らしをしていたと思っていますがまったく不満が無かった訳ではありません。だからこの本を読んだのだと思います。
 競争社会で勝ち組、負け組みと言う言葉がテレビやマスコミで取り上げられて、自分はいったいどちらなんだろう?という疑問を感じつつ、上を見れば 負け組のように感じ劣等感を感じるし下を見ると勝ち組のように感じ優越感を感じるのは皆同じではないかと思います。ニーチェの言葉は そのような社会のレッテルの枠を脱け出すために役立つのかもしれません。 競争社会では優劣が決まり結構残酷な場合もあります。でも人は人と協調して 生活をします。競争社会での優劣と隣人との協調はある場面では矛盾になる場合があると思います。 そのようなことで悩むことがあるのは人として 当然なのではないかと思います。競争社会で悩んだとき、この本の道徳批判を読むと「勝ち組」と思っている人だとおそらくもっと勝とうと思えるし 「負け組」と思っている人だとその悩みの原因と負けたと感じて打ちひしがれた心を見つめ直すことが出来、強く生きていく気持ちになるかもしれません。
皆同じ価値観を持っているわけでは無いことを、また、自分が感じた正義感が必ずしも正しくないことを心に留めて おく必要があることを感じました。 正直ニーチェを読むことが少し恥かしいと思っていた頃がありました。なんとなく反社会的で少数派で 反抗期の少年のイメージがあり中二病じゃねーのかみたいなイメージもあったけど読んでみると一皮剥けた感じがしました。 感想を書いていて 私の思考は結構矛盾しているんだなあと改めて確認できました。
『GO』 著者 金城一紀 
角川文庫
この文庫本の後ろにあるあらすじで「広い世界を見るんだ--- 小さな円から脱け出て、広い世界へと飛び込む選択をしたのだ。でも、それはなかなか厳しい選択 でもあったのだが。」という言葉に惹かれてこの本を読もうと思いました。杉原という在日朝鮮人(父は済州島出身だけど朝鮮籍)の主人公と桜井という 日本人女性との恋愛を通して日本社会を見るという小説だと思います。 杉原は民族学校という小さな円から脱け出て『広い世界』(強調して)へと 飛び込む選択をしたがそのために同胞からは裏切り者という目でみられることとなります。杉原の父はニーチェの本を読んでいたり 「No soy coreano,ni soy japones,yo soy desarraigado」「俺は朝鮮人でも、日本人でもない、ただの根無し草だ」とスペイン語 を話したりするしボクシングのチャンピオンだったりしてなにか人並みはずれた力を持った人に描かれているところがなんとなく面白かったです。 青年の目線で社会を見て現代の青年らしくいきいきと恋愛し、アイデンティティの問題を杉原自身の考え方で解決しようとしているところが 爽快感があっていいと思いました。彼が大人になったときどうなったのか、彼のいう『広い世界』は彼を救うのだろうか?などを考えると また別の面白さがある気がしました。ヤクザの友達がいたりボクシングのチャンピオンが父だったりオーバーな感じもするがタイトルのGO が一番かっこいい感じがしました。
『破獄』 著者 吉村 昭 
新潮文庫
『破獄』吉村昭 は面白かったです。 第36回(1984年)の読売文学賞受賞作だそうです。1984年といえばバブル時代だったと思います。
そのバブル時代とはかけ離れた世界を描いていますがテレビドラマ化されるほど人気のあった本です。
 時代背景は戦前から戦後にかけての貧しい時代の話で現在とは違いますが主人公に感情移入できました。 主人公が何回も脱獄を繰り返し刑務官に決して屈しない姿は貧しいというだけではなく、なんだか理不尽な社会に 対する人間の本能の行為のように感じ、監獄が現代社会で脱獄行為が自由を求める人間の本能のように感じました。
逃げるという行為だけではなく刑務官にも反抗する姿はあっぱれだと思い私には真似出来ない 反骨精神を感じました。
彼が脱獄した後の社会ははたして正しい社会だったのでしょうか?
その社会から超人的な体力知力を使って脱出して自由の身になると言う物語は読者も読んでいて驚きと共感を感じると思います。
最後には刑務官のすばらしい人間にふれて脱獄行為をやめますがその人間模様もおもしろいです。
『ニーチェ入門』 著者 竹田 青嗣 
ちくま新書
また空いた時間があったので積読中だった『ニーチェ入門』を読みました。入門とありますが内容は結構難しかったです。 ニーチェはショーペンハウアーに影響をうけたそうです。ショーペンハウアーは厭世思想の哲学者です。大学生の時古本屋で『哲学入門』ショーペンハウアー著 (100円)という本を手にとってチャレンジしましたが 途中で気持ちが悪くなって最後まで読めませんでした。あの当時はまだこの本を読むには適していなかった、成長していなかったというか世間知らずで若かったのだと思います。
内容は、人間は他人と同じものを見ることが出来ないと「世界はわが表象である」という言葉で表現しています。 「われわれは決して太陽そのものや大地そのものをながめているのではないということだ。直接にたしかなことは、太陽を見ている目がここにあり、大地にふれている手がここにあるということだけである」と 説明しています。独断的に勝手に簡単にして考えると、人間は目や手というフィルターを通してしか太陽や大地を認識できない。それは他人にも同じことが言えることです。なので他人はその人のフィルター(目や手足をとおして)で見るので同じものを確認することが出来ない。太陽や大地を価値や真理と置き換えるとわかりやすいかもしれません。 「倒頭徹尾他者との関係においてのみ自身がたしかなのはこのことだけである」と言っています。
若い人はいろいろ悩み社会の不正や悪事に怒りを感じたり情熱的だけど大人になるとだんだん世の中が見えてきて... ちょっと違うかな。
ニーチェは21才の頃に『意志と表象としての世界』を古本屋でみつけ読みふけるとありました。私の読書力が無いせいなのか それとも厭世思想は肌に合わなかったからなのか。どちらにしろ読めなかったことは事実です。
この『ニーチェ入門』でわかりやすかったところはP193らへんの認識の場所でした。「カント図式」と「ニーチェ図式」にわけて イラストでリンゴの認識について解説しています。
リンゴは人間からすると「甘くておいしい果実」猫の目線では「丸くて硬くて転がるもの」トンボの目線では「輪郭だけ」アメーバーにしてみれば「丸いものですらない」。 ある対象(リンゴ)が「何であるか」という認識の問題はその対象に向き合う生命体の「肉体」(欲望=身体)によって決定されると。  カントはこの「認識」に序列を想定して「アメーバー」「トンボ」「猫」「人間」の順により制約されない高度な認識と考えそれを進めて もっとも完全な認識として「神」が想定されるとして「客観認識」というものがそうていされると説明していました。  一方ニーチェはこのような認識を「遠近法」と表現したそうです。ニーチェによると生命体の数だけ解釈があり世界がある。「神は存在せずしたがって完全な認識なるものは存在しない」 「世界のあるがまま」を考えたニーチェはカントの図式から「神」を引き算した感じだそうです。
現代人はカントの考えよりニーチェの考えの方が納得しやすいのではと思います。
 世界は肉体と欲望によって認識される。
著者が言っているとおりニーチェの思想には破壊力があると思います。現実社会でうまくいかないとき、挫折したとき、信じていたものが 崩れたときニーチェの本は読者を前に押し進めてくれる力があると気が付きました。厭世思想や虚無主義とかニヒリズムとか神は死んだとか とてもマイナスなイメージがあると思いますが読むと結構勇気づけられることもあると思います。色々な価値観や変化やブームの移り変わりが多い今の社会では 何かを信じて行動するということは結構リスクが大きくてその信じていた価値観がブームによっていとも簡単に崩れ去り流行遅れになり 流行おくれというだけではなく悪と置き抱えられることだってあると思います。このような場合行動することは億劫になり避けてしまうと思います。
ニーチェなら行動を避けないと思います。何故ならもともと価値なんてものを重要視していないから。「強い」か「弱い」か高貴か弱者か。もちろん強者は行動的です。   その事実があるだけです。
でもそんなことを言うことは現実社会では結構はばかられることだと思います。人それぞれだと思いますがどうでしょうか?
私の感想としては本は最後まで読むべきだと実感しました。あとがきには、ニーチェの道徳や宗教やキリスト教への徹底した疑いが実は「アンチモラル」ではなく 「善きこと」「道徳」「正義」などのことへの希求(追い求める)の力を強くし強靭なものにするとありました。ニーチェの思想に少しでも 触れることが出来、「善きこと」ということを深く考えることが出来たことが大変ためになりました。
理解力はカント図式でいうと私は「人間」と「猫」の中間かもしれないと少し不安になりますが。
 小説を読む意義
社会人になってから週末の休日2日間は仕事のストレスを癒すために家でごろごろするか 外で体を動かすことに使われてほとんど本を読む機会がありませんでした。  読書には時間がかかり目も悪くなるし疲れる。
何故このようなことを重要であると大人は言うのでしょうか?
大人になった私が考えてみて1つ理由を挙げてみるとそれは挫折からの立ち直り方を小説が暗に教えているからではないでしょうか。 例えば上記で感想を書いた『罪と罰』は古典の名作とも言われておりドストエフスキーはロシアを代表する文豪と言われています。 しかし本の内容は決して道徳的なことを教え説いているわけではなく(私はそう思うけど他の大人が聞いたら怒るかな?) その反対のようにも受け取れます。実際、作者のドストエフスキーは時代とは言え刑務所に投獄され 釈放後も決して品行法制に生活したとは言えません。 古典の名作『異邦人』のムルソーも太陽のせいとか言って 殺人を犯すし『金閣寺』の溝口も遊びまくった後放火をする。それらの小説で主人公は刑務所に入るかまた、 死刑を執行されることになります。
読者はもちろん主人公と一体化して物語を読む(私はそうです)と思いますがそこで読者は主人公と同じく 社会との適応に苦悩し傷き制裁を受けます。社会不適応な主人公は社会の規範を犯し法律を破る。 でも最後に読者は解放感を感じると思います。 ただ反省したからだとか愛に目覚めたからだとか書けば それで解決する問題かもしれません。
しかし、それでは小説は面白くないし共感もされないと思います。これらの主人公の非行や苦悩は物語を盛り上げるための、 また社会の問題、主人公や登場人物の問題を浮かび上がらすための装置『プロセス』でしかないのでしょうか。 どちらかというとその『プロセス』の方が面白かったりします。
哲学的で難解な問題を読者に突きつけて考えることで現在置かれている社会を見直し 挫折感を感じていた読者に新しい見方を与え解決のヒントを与えてくれるから読書は有益なのだと思います。 小説を読んでいる時、世界で一人ではないことを実感し自己肯定をすることが出来ると思います。
 読書という孤独な作業を通して自己と向き合い実は世界とつながっていることを感じながら挫折感と孤独を乗り越えようと思います。



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